按司根津栄7つの伝説

 

その1.神社の近くにウマノクン(馬の足跡)と言われる場所があってそこには按司根津栄が飼っていた馬の足跡が残っています。その場所から百合が浜の沖を通る与論に攻め込もうとしている海賊船に向かって弓を放ち、撃退したとも言われています。

 

その2.王様が初めて対面したときに、按司根津栄の強さを図るために城の周りを大勢の衛兵に守らせ、「私のいる場所に来るように一刻も早く来るように」と伝えましたが、按司根津栄はあっという間に王のもとにたどり着き、王様を驚かせたと言われています。

 

その3.按司根津栄の妹であるインジュルキは実は按司根津栄の妻だったという説があります。当時は、妻や子がいると末代まで王様の制裁を受けてしまうと言われており、按司根津栄には妻子はいなかったとされています。

 

その4.按司根津栄の父は源為朝だったという説があります。為朝は源頼朝、義経の叔父にあたり剛勇無双と謳われた武士であったが伊豆大島で絶命したと言われています。しかし、為朝は琉球へ逃れたという説があり、与論島にも立ち寄った際に島の娘と恋に落ちて生まれたのが按司根津栄という説も根強く信じられています。

 

その5.インジュルキは海の天候を操ることができたと言われています。与論島が3回目に攻められた時にはインジュルキが先頭に立ち戦いました。しかし、インジュルキは敵兵の刀によって首を落とされてしまいます。その際に海の天候を操る呪いの言葉を発したと言われています。敵兵が琉球に帰ろうと船に乗ると、海の天候が荒れ大しけになり船が沈んだと言われています。インジュルキは海の天候を操ることができたことから、海の神様として信仰されています。

 

その6.船倉海岸に鳩の湖という史跡が残っています。それはどこにでもある水たまりのようですが、どんなに旱が続いても一度も枯れたことがないと言われています。この場所は按司根津栄の飼っていた鳩の水飲み場であったことから鳩の湖と呼ばれています。

 

 

 

その7.按司根津栄が琉球兵との戦に向かう前、白米を食べようとした際に、子供が突然ご飯に箸を突き刺したと言われています。按司根津栄はその後に絶命していることから非常に縁起が悪い事とされ、ご飯に箸を突き立てることは氏子にとって禁忌とされています。